実は大変嬉しかった。 今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。 　母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。 こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。 門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。 ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。 それから下女が膳を持って来た。 ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。 帳場に坐っていたかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出してきてお帰り……と板の間へ頭をつけた。 車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見てもうお別れになるかも知れません。 ところが清にも別段の考えもなかったようだ。 時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。 それでも清は可愛がる。 失敬な奴だ。