FM28 夏帽子 (河出文庫―文芸COLLECTION)

名宛はない方がいい 細君は――細君は何をしているか知らない。 あの男が卒業後図書館に足が向くとはよほど不思議な事だと思って感心に勉強するねと云ったら先生妙な顔をして、なに本を読みに来たんじゃない、今門前を通り掛ったらちょっと小用がしたくなったから拝借に立ち寄ったんだと云ったんで大笑をしたが、老梅君と君とは反対の好例として新撰蒙求に是非入れたいよと迷亭君例のごとく長たらしい註釈をつける。 　小供の方はと見るとこれも親に劣らぬ体たらくで寝そべっている。 寒月君などもそんなに憧憬したりしたり独りでむずかしがらないで、篤と気を落ちつけて珠を磨るがいいよといやに異見めいた事を述べると、寒月君はええなるべく珠ばかり磨っていたいんですが、向うでそうさせないんだから弱り切りますとわざと辟易したような顔付をする。 多々良さんは蔭弁慶ね。 これだって一室の中に閉居して安閑と躄の修行をするのではない。 そのあとは静まり返って、枕をはずしたなり寝てしまう。 うん昨日来た いくらするか 御高名だけはかねて承わっている泥棒陰士ではないか知らん。 先生はどうしても教えて下さらないから、あなたに聞くんです はてな今頃人の来るはずがない。 屈竟の手懸りに、砕けよとばかり尾を啣えながら左右にふると、尾のみは前歯の間に残って胴体は古新聞で張った壁に当って、揚板の上に跳ね返る。